2003年11月30日

●聖響「新世紀浪漫派」

本日の演奏会についての嗜好を、ある程度情報収集してから、来たほうが良かったのかも知れません。まず、プログラムですが、チラシなどでは、第4番、第1番の順で演奏するものと思い込んでいたところ、いきなり第1番から演奏されたことに、愕然としてしまいました。
なお、今回の演奏を、シリーズ第4回(最終回)に、位置付け、“現代楽器で、ピリオド奏法を用いて新しいサウンドを作る!”という一連の取り組みの中の、一つだったということに気付いたのは、前半のプログラムを終えてからのことでした。また、このシリーズは、来年も新しいタイトルで、続くのだそうです。
こんなわけで、金500円を払って、プログラムを買い、読んでみました。なるほど、何故、本日のような演奏スタイルになるのか、理解が出来ました。楽器群のレイアウトも然り、ストリングスのビブラートを抑えた演奏も然り、普段、ゆったりとしたテンポで聴く部分が、背中を押されるような気分で展開したこと然りでした。
ここで、一人の音楽ファンの端くれとして、私見を言うなら、この取り組みは、まだ、未完成なのだろうと思います。勝手な感想をお許しいただきたいのですが、聴く側の錯覚によることも多少あると思われるアインザッツの不具合は、むしろ、こちらが聴くのに慣れることで改善されるのかも知れません。編成上、中高音の管楽器における突出した響きは、何時も残念に思うことですが、オーボエのソロは、音色に中身がありすぎて、個人的な好みに反していたし、トランペットとティンパニーは、ただ何となく鳴っているという感じがしました。「フォルテ」または、「スフォルツァント・フォルテ」でのフレンチホルンの響きには、管の中に、もう少し暖かい空気を注いで欲しかったようにも思いました。
また、第1ヴァイオリンを下手(舞台に向かって左側)前列に、第2ヴァイオリンを上手前列に、双方が向かい合う位置に居たり、コントラバスが、下手側に居たり、ヴァイオリンチェロが第1ヴァイオリンの、ビオラが、第2ヴァイオリンの奥側に居たりというような、普段との配置の違いにより、音楽の展開の中でのフレーズの受け渡し等が、確かに、位置的には、明確になったとはいえ、その継ぎ目が不明朗な点など、改善を希望したい部分は、多々あったようは感じました。当然、それこそが、ピリオド・アプローチによる取り組みの特徴なのだと云われてしまえば、お話しは、お終いですが。
勿論ながら、演奏そのもののは、大部分について良かったと思います。弦楽器は、相変わらず、美しい響きを提供してくれていました。特に、今までにあまり感じなかった点を云うなら、後半プログラムの第3楽章では、木管のアンサンブルが素晴らしく決まっていたと思います。また、静かな場面でのフルートのソロが、とても美しく奏でていたことについては、とても気持ちよく聴けたというのが、大いなる収穫でした。 こうした取り組みを実施してきた主催者側的な発想をすれば、本日の会場のように、ほぼ席を埋め尽くす聴衆の集まりに、一応の成功を見たと言えるのかもしれません。また、続シリーズが来年行なわれるという機会を得られたという点においては、演奏者は、さらに、その取り組みの中で、精度を高めていくことでしょうし、聴衆側的な発想からすれば、是非とも、来年は、期待を裏切らないそれではなく、期待していた以上の音楽的な成果を、私たちに届けてくれる事を希望しています。
末筆となりましたが、今回の演奏会には、何ら不満が会ったわけではありません。また、何時もながら、技術力の高い演奏を聴くかせてくれた、このオーケストラは、今後とも変わりなく、私や他の音楽ファンの皆さんの期待に応える演奏をし続けてくれる事と思っています。

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2003年11月29日

●来日公演

前回2000年3月の来日大阪公演もそうでしたが、今回も雨となりました。気分的なものですが、何時もながら、雨の日に、ホールに行くのは、気が重いというか、あまり好きではありません。そうは云うものの、天井のあるホール内は、雨とは、関係ないと云ってしまえばそれまでですが。
さては、午後3時には、家を出て、天王寺にある本屋で、時間を潰しつつ、なるべく雨の影響の少ない移動を心掛けながら、ホール近くで軽食を取り、午後6時40分頃、ホールに到着しました。
時間となり、コンサートマスターをはじめとする演奏家の皆さんが、舞台へと登場すると、拍手が起こりました。チューニングを終え、暫くして、指揮者のメータさんが登場するや、一段と大きな拍手が会場に響き渡りました。
シューベルトの交響曲が前半のプログラムです。演奏家は、まず、ストリングスは、ヴァイオリン22人、ヴァイオリンチェロ6人、ビオラ8人、コントラバス4人。木管楽器は、オーボエ、ファゴット、フルート、クラリネットが、各2人。金管楽器は、トランペット2人、フレンチホルン4人。打楽器は、ティンパニー1人という、二管編成でした。
演奏が始まって、早々に、木管楽器の美しい調べが展開すると、やっぱり、この公演に来て良かったと確信しました。また、第2楽章では、少ない数の弦楽器群から、厚みと輝きがあり、力みの無いソフトな響きを堪能させてくれました。
細かいことは、まったく気にしてませんが、こちらが聴きたいと思っている音楽の、それ以上に、こまやかな、音作りに、たびたび感心した楽曲でした。たとえば、「メゾ・フォルテ」の音量で、ゆったりとした下降系の音階的なメロディで「ディクレシェンド」しながら、次の小節の頭で、「メゾ・ピアノ」の音量で「新しいフレーズ」に移っていくという場面では、きっと楽譜に、こう書いてあるのだろうなと想像ができるような、基本的に高度なレベルで、よく行き届いた表現力を感じました。
後半のプログラムは、マーラーの交響曲でしたが、前半とは、対照的に、楽器も増え、チェレスタやハープのほか、ヘルデングロッケン(牛の首につける大きなカウベル)といった特殊打楽器も加わり、ステージ上は、演奏家で、溢れんばかりの状態となっていました。
実は、この楽曲は、初めて聴いたのですが、副題の「悲劇的」ということと、第6番ということで、無意識にですが、チャイコフスキー作曲の交響曲第6番「悲愴」と、何となく聴き比べるという準備をしてしまっていました。第1楽章が始まると、なるほど、暗い感じはするけど、音楽に、冷たさは無く、むしろロマンチックな感じさえ受けました。問題の第2楽章、第3楽章の順については、今回、初めて聴いただけに、何ともコメントしかねます。勿論、もう少し、いろいろな情報が分かってきたら、自分なりに楽しめる話題ではあります。
何の根拠も無い勝手な意見ですが、今回の第3楽章(スケルツォ)が、何となく、第1楽章の(リプリーズ)的な、音楽を展開するのであれば、その順序は、何処に来ても、不都合は無いという気はしました。古典的な交響曲の固定観念からすると、緩徐楽章が、第2楽章に位置するのが、必然的なようにも思います。
終楽章は、ここだけ聴いても、1つの楽曲といった感じの、中身の濃い、展開の多い楽章でした。ハンマーを打つ下ろす衝撃的な打楽器音は、迫力がありました。最後は、静かに終わるこの楽曲。このホールの残響2秒を、たっぷり楽しむために、東京公演ではないながら、Aプログラムを、ここに入れてくれたような気がしないでもない、この大事な残響を、先走りの拍手に、邪魔されたといえばそうかもしれませんが、これは、ご愛嬌。
まったくの余談ですが、関西では、どうも拍手のタイミングが早いというのは、東京のホールで聴く時と較べて、明らかな特徴です。横断歩道で、信号待ちをしていてもフライングが多い地域柄からなのでしょうか?というより、客として、この場をどう主体的に過ごすのかということに、こだわる人が多いということでしょうか?拍手が早い人って、楽曲が何時終わったか分からなくて、他の人の拍手につられて、自分も拍手するようでは、この場における自分の役割を果たした事にならないのでしょうね。
プログラム的に、時間が余らなかったということでしょうか?アンコールはありませんでした。

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2003年11月14日

●来日公演

本日の演奏会は、チケットを購入することを、ずっと躊躇していたのですが、危惧していたことが起こりました。私は、あまり気にしていないのですが、演奏中の聴衆のマナーについて、今日は、酷かったと思います。演奏中の写真撮影は、主催者側で禁止しているにも拘わらず、フラッシュが、何回もたかれましたし、演奏に、集中するには、些か邪魔になるような騒音も多かったと思います。
そういう人たちにとっては、撮影でもしなければ、高いチケット代の割に合わないとでもいう発想なんでしょうかね?私は、演奏を聴きながら、ここにコメントしたい場所を、メモしたりするのですが、こんなのもマナーには、反するのかな?
また、何度か、書いたかも知れませんが、楽章の合間に、思わず拍手が入ってしまうのは、あながちマナー違反とは云えないと、私は思っています。今回もありましたが、こういう音楽会に、滅多に来る事の無い人たちが、大勢、ソリストを目当てに、来たのだなぁと、想像できるからです。私見に過ぎませんが、音楽会は、コアな音楽ファンだけのためにあるわけではなく、何らかの理由でチケットを入手して来られた皆さんのために、平等にあるはずですから、“にわか”な音楽ファンに対しては、ある程度、寛容さも必要かなと思っています。
演奏会については、多くをコメント出来ませんが、このオーケストラは、厚い響きを大切にしているように感じました。演奏会を通じて感じたのは、オーボエの音色が、とても心に染み入りました。ソリストが登場するコンチェルトでは、一貫して、ソリストが、引っ張っていたように思います。諏訪内さんの演奏は、聴くたびに、テーマが違うので、今後も楽しみです。
今回、静かなフレーズを、柔らかく透き通った音色で聴かせてくれたと思います。第1楽章冒頭においても、フレーズの流れは、止まらずに、しかも、一つ一つの音程を、丁寧に優しく弾いておられた感じがしました。また、伴奏についても、ところどころ光る響きがあって、とても楽しめました。
ベルリオーズですが、フランスの作曲家の意図したイントネーションとは、違う表現だったのかも知れませんが、特に、第2楽章のワルツなんかでは、歴史あるこのオーケストラの特徴が出ていたのかも知れません。まさに、「音楽に国境は無い」というひと時を、楽しませてもらいました。第5楽章の終盤、漠然と聴いていて、「ああ、これが幻想なのか」と、思った瞬間がありましたが、何だったのかは、忘れました。
アンコールは、ベルリオーズ作曲、劇的音楽「ファウストの劫罰」よりハンガリー行進曲(ラコッツィ行進曲)と、ハンガリー舞曲集より第5番嬰ヘ短調でした。

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