« 大阪市内スープカレー&ポタリング(5-1) | メイン | 大阪市内スープカレー&ポタリング(5-3) »

2006年04月01日

●大阪市内スープカレー&ポタリング(5-2)

四天王寺布袋堂から、まっすぐ西へ下り、現在の国道25号と松屋町筋の終点とが、合流するまでの坂は、「逢坂(天王寺七坂①)」です。
この松屋町筋の終点は、聖徳太子と物部守屋による、仏教と神道の宗教論争が、繰り広げられた場所という事で、“合法(邦)ヶ辻”と、呼ばれているのだそうです。
逢坂は、“おおさか”と、読むので、大阪の地名の由来なのかと、思っていましたが、どうやらそうではないみたいです。
ここで、歴史検証するわけではないので、正しい情報は、然るべく方法で、入手され、確認されたいと思うのですが、上町台地のどこやらにある“小坂(おさか)”が、大坂になったとか、“大江の坂”が、大坂となったとか言う説が、あるみたいです。
ツチヘンが、どうして、コザトヘンに、変わって行ったのかも、いろいろと、理由はあるみたいですが、まぁ、そんなこんなで、現在の大阪という地名に至ったと言う沿革なのだそうです。
松屋町筋と谷町筋の間は、高低差があり、遠い昔で言うと、前者が、海岸通、後者が、上町台地側という事になるのでしょうか?
南は、逢坂から、北は、千日前通りに至るまでには、神社やお寺が、たくさんあるのですが、これは、豊臣秀吉の時代に、寺町として、お寺を、この地域に、移転させた事に、由来するそうです。それらに、通じる道などが、古い情緒を、残して存在しています。
代表的な7つの坂、「逢坂」「天神坂」「清水坂」「愛染坂」「口縄坂」「源聖寺坂」「真言坂」を指して、天王寺七坂と、呼んでいるようです。



逢坂の北側に、安居天満宮があります。
ここには、戦国武将真田幸村公が、戦死した場所と言われていて、境内には、石碑が建てられています。
また、境内の西側に、階段があり、それを、降りていくと、「安居の清水」があって、今は、枯れてしまっているように見受けられる井戸の跡があります。
これを、「かんしづめの井」(癇静め)というのだそうですが、現在は、工事中とかで、階段へは、立ち入りできませんでした。
勿論、天満宮なので、菅原道真が、祀られているのでして、この北側に、面して、松屋町筋と谷町筋を、繋ぐ坂の名は、その天神さんにちなんでか、「天神坂(天王寺七坂②)」と、称しています。



天神坂の袂から、北側へ移動すると、“清水寺”が有ります。
“清水寺”には、大阪市内で唯一の滝「玉出の滝」が、あったりします。
但し、この滝、見たら、笑っちゃいますが、例えが適切で無いかも知れませんが、形状だけで言うと、戦艦の主砲塔のように、三本の突起が出ていて、そこから、ちゃんと、清水が流れ落ちて来ています。
谷町筋から、このお寺に、繋がる坂道を、「清水坂(天王寺七坂③)」と、称しています。



清水寺、清水坂を、眺めつつ、さらに、北側に、移動すると、「愛染坂(天王寺七坂④)」が、あります。
ここは、松屋町筋側から、谷町筋側へ上り詰めたところに、“愛染さん”の名で、知られている“勝鬘院”というお寺があり、ここに通じる坂なので、その名称の坂なのだと思います。
ちなみに、“勝鬘院”は聖徳太子が勝鬘経というお経をあげたという古事によるものです。
ここにある、 “多塔堂”は、国の重要文化財に指定されているのだそうです。


 


愛染さんを、見学した後に、いったん、谷町筋へ出て、北上し、口縄坂に、向かいました。
「口縄坂(天王寺七坂⑤)」は、その谷町筋側に、上り詰めたところには、織田作之助作「木の都」の一節を、刻んだ、石碑が建てられてあります。
口縄坂は、坂の傾斜が、緩やかな部分と、やや勾配がある部分があって、その起伏のある形状が、口縄(蛇の意味)に、似ていると言う事から、この名を称しているのだそうです。
余談ですが、「蛇=口縄」というと、どうしても、発音的に、「口縄=ウチナー(沖縄)」と来て、沖縄の楽器、サンシン(三線)に使われる素材や、ハブが生息する地域といったイメージから、「沖縄=蛇」を、連想してしまうのは、私だけでしょうか?