« 松發肉骨茶 | メイン | 旅行記 »

2009年01月05日

●シンガポール(チャンギ空港)から大阪(関西国際空港)へ

日本との時差1時間のシンガポールから、日本へ帰る時が来ちゃいました。
はたして、この旅は、カレーの中心を訪ねることが出来たのでしょうかね?

最後の機内食は、朝食です。
結局、この飛行中は、映画を1本半見ちゃったので、2時間弱も眠っていないかなぁ?
今回は、シンガポールに、ちょい寄りして、南インド(チェンナイ)に1週間ほど行ってましたけれど、次に、どっち行きますか?って、事になると、シンガポールかなぁ?けれど、やっぱり南インドってのも捨てがたいかなぁ?それにしてもインドは遠いしなぁ?なんて、結論の出ない思案をしています。
たまたまかも知れませんけれど、シンガポール航空(SQ)は、日本フライトとインドフライトでは、機種の新旧が、極端に違いました。
また、飛行機に乗るインド人って、一定の階層以上なのでしょうけれど、あんまりお行儀良くない人も見かけました。
それは、日本でも同じですかね。
前にも書きましたけれど、シンガポール航空の機内サービスは、こちらの欲するところまで、だいたい行き届いていて、まずまず良かったのでした。
また海外に行く機会があったら、他の航空会社も使ってみて、比較してみたいところです。


機内食(朝食)

《インド(チェンナイ)旅の総括として》

この短い滞在期間に於いても、広い意味でインドが、間口が広くて懐が深い国であることは、私が感じるところでして、誤解無きまでに、最初に申し上げます。
旅の総括は、私が、チェンナイを歩いて実際に接した部分、つまり、狭い意味でのインドについてです。
なので、以下は、インドってこんなところとか、インド人ってこんな人たちって言う、結論を書いているのではありません。
私が接したインドについて、感じたことを、率直に書いているまでです。

誰が言うのか何か知らないけれど、“自分は、世間によって、生かされている。”という考え方があると思います。
それは、“世間”と言うものが、信頼できる存在である前提が基礎になっている考え方だと思います。
この旅を通じて、インドで、その信頼すべき“世間”という基礎が存在しないか、または、その存在が疑わしいと、私は事ある毎に感じざるを得ませんでした。
では、何故なんだろうか?と、色々と考えてみたのですけれど、結局、それは、他所の国から遊びにやって来た私が、インド(社会)の日常にとって、特異な存在である“旅行者”なのだからだと、推察するに至りました。
インドでは、どの世間に感謝すべきなのか、その選別を自分でする必要があります。
但し、ヒンドゥー教のカースト制度を指して言っているのではありません。
全てを親切と信用はできないし、全てを犯罪と疑う事も無いのですけれど、それらが、同じ様な角度から自分にかかって来るので、真実は何かが、見分けが付きにくかったのでした。
少々、下品な言い方になりますけれど、味噌も糞も一緒に考えていたら、気付いたら、糞に塗れてしまうと言う意味です。

街を歩けば、子供から老人まで、物乞いして来る生活レベルの人が居ます。
目の前の貧困に施しても、自分は満足するかもしれないけれど、何も解決しない事を知らなくてはなりません。
高くふっかけて来る商人も居ます。
同じ仕事に対して、他人が幾ら払ったか?が、問題ではなくて、自分にどんな価値のある仕事をしてくれたか?が、対価なのだなと思うと、自分が、どのくらい正当な価値観を持っているかどうかについて、考えさせられます。
また、気さくに優しく声をかけて来る人の多くは、旅行者を騙す事なんて平気な類の輩だったりもします。
人に、カメラを向けると、自分も撮ってくれと、集まる善良もあれば、記念写真を友人の証拠として、詐欺の疑いを逃れるツールにする悪行もあります。
日本では、何気に、公の秩序と善良な風俗が保たれているからなのか?突き詰めて考えなくても、よしなに事が進むのですけれど、インドでは、そうじゃない事が、多かったのでした。
それらの事柄は、旅行者である私目線での“煩わしさ”なのでして、インド社会が悪いのでもなければ、インド人が悪いのでもなく、むしろ、反対側つまりインド社会やインド人の目線から言うと、当然の帰結なのじゃないかなぁと私は感じました。
日本人旅行者は、インド人目線からすれば、当然、金を持っていると思われているし、服装、時計、靴、カメラなど然り、そういう身なりだし、そういう現実があると思います。
なので、日本人旅行者である私は、お金を払って貰える仕事が出来るすべを持っている人からは、大事にされるけれど、そのすべを得ない人からは、無法な仕打ちを受ける危険があったのでした。
ただただ、それだけの事ではないかなぁ?と、私は思いました。
こうした“煩わしさ”を、快く受け入れる必要も無いので、物乞い、ぼったくり、詐欺等は、遠慮なく排除して良いとは思います。
けれど、全てを“悪”または“罪”と考えて、心を閉ざしてしまったり、悲観する必要は無いと思います。
自分と違う国、民族、宗教、考え方等を持つ人なんて、ほんのちょっとの違いなのに、それを全否定して、敵対意識を持ち合うほど大人気ない関係は無いと思うからです。
だいたい、かく言う私自身にしても、量る尺度によって、悪人かも知れません。
とりあえず、ざっとしたものの中から、こっちで、“実”の部分をピックアップして行けば良いのだと、私は考えます。

クラクションが止む事のない道路、手軽に移動できるオートリクシャー、大勢の人々で賑わう商店通り、ティファンやジュース屋、小額でお腹いっぱいにできる食堂、広大なビーチ、ヒンドゥー教の寺院、キリスト教会、格安クラスから高級クラスまであるホテル、高級と言ってもリーズナブルな価格で心地良いサービスが受けられるレストラン。
どのレベルに於いても、私には、最強のワンダーランドです。
私は、結局、この短い旅の期間では、インド社会やインド人、または、広くインドの事を、何一つ知り得なかったのかも知れません。
しかし、感じるままの事を書き綴りますと、インド社会と、異国の旅行者は、共存は出来ても、決して同化または同期する事は出来ないと自覚さえしておけば、インドは、とても魅力的なところだと察します。
つまり、インドと私との関係で言うと、ボタンを、掛け違えて居るのではなく、小さすぎるボタン穴に、大きすぎるボタンをかけるのは無理だから、それらを互いに無理してかけ合おうとする必要はないと言う事です。
金が絡むと、いちいち、“NO.”と、言わなければならない“煩わしさ”は、解消しないでしょうけれど、それ以外のインドは、とても楽しめるところだと、今回の短い旅で、私は感じました。

最後に、この旅は、私にとって、色々な考えを新たにした良い機会となったかどうかは、今後の自分次第だと思ってやみません。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.masajan.com/cgi-local/blog/mt-tb.cgi/1220

コメントする