2005年09月13日

●聴衆のマナーについて

クラシック音楽の演奏会に詰め掛ける聴衆のマナーといっても、いろいろとあります。
今回は、クラシック音楽の素晴らしい演奏に対して、称賛の表現である、“拍手”あるいは、“ブラボー”という言葉などをかける行為について思うことがありましたので述べます。
特に、最近、大阪で聴いた幾つかの演奏会で、楽曲が終了する前に、拍手が起こってしまう、所謂“拍手のフライング”現象について、目に余るものがありました。
前置きとして、この現象が、個人的には、許せないということを、言いたいのではなく、大阪におけるクラシック音楽鑑賞に関する文化水準が低いという事実なので、私自身は、諦めているということを確認します。

クラシック音楽の演奏会を鑑賞する大前提のマナーは、“静聴”にあると思います。
ニューイヤーコンサートにおけるラデツキー行進曲にあわせて、手拍子を行うなどは、例外中の例外でして、通常は、聴衆が音を立てる行為は、飴などを口に含んだり、パンフレット等の紙類を、パラパラと、捲ったり、咳払い程度のことは、許される範囲かもしれませんが、傘や手荷物を落下させたり、携帯電話や時計から発するアラーム音等は、許されません。
それは、個人として、堅苦しいと、思いがちですが、実は、他の聴衆に対する配慮という、広い心を、持つという意味合いがあるのだと、私は理解しています。
ギャランティーを受けて、演奏するプロフェッショナルな演奏家に、敬意を払う必要があるかどうかは、よく知りませんが、少なくとも、チケット代を支払って、聴きに来ている、自分以外の千数百人の聴衆に対する配慮は、必要と思います。
勿論、感動したら、“感動した!”というのは、当たり前ですし、称賛の拍手を、贈るのも、当然なのです。
しかし、他の聴衆に、迷惑をかけてまで、自分が、感動したことについて、演奏が終わっていないにもかかわらず、感情を、表現してしまうのは、あまりにも、自己中心的で身勝手な行為といえるし、許されるべき点は、万にひとつも存在はしませんし、弁解の余地など、一切ありません。
“拍手のフライング”は、演奏会場という逃れがたい限られた空間において、回避不能あるいは選択不能な不快感を、強制されるという意味で、マナーに反するというレベルを遥かに超える“迷惑行為”です。
堅苦しいのが嫌で、招かざる聴衆の会場に詰め掛ける人数が減るのは、一向に構わないと思います。
むしろ、こうしたマナーが守れない程度の低い聴衆が詰め掛ける会場で、クラシック音楽の演奏を聴くのが、嫌になってしまう、ファン層が、演奏会場から、離れてしまうことが、とても心配です。

マナーとして、演奏終了後の拍手のタイミングは、演奏終了後にして欲しいと願います。また、仮に演奏が、つまらなかったとして、それに対するブーイングを表す時も、同様です。
演奏終了後とは、演奏が終わったことを知らせるべく、指揮者が、タクトを、降ろしきった後です。
最後の音が、“ジャン♪”と、鳴った瞬間では、絶対にありませんし、ありえません。
たとえ、指揮者のタクトや弦楽器奏者が、弓を、振り上げる位置で、最後の音を鳴らしても、演奏の終了は、指揮者が、そのタクトを、降ろした後です。
指揮者の手が、上がっている間は、例え、残響のうちでも、演奏中を示している訳なのだから、演奏中、演奏後の判断は、簡単です。
従って、楽曲を、個別に知っているかどうかは、“拍手のフライング”という現象が、起こる理由にはなりません。つまり、フライングが、故意かそうでないかという論点は存在しないのです。
今回、何故目に余るかと言うと、指揮者が、それを意識して、大きなジェスチャーで、両手を、顔の前くらいの高さで、結びつつ、デクレッシェンドというか、“最後の響きを、聴いてくださいよ”としている最中に、奇声と、拍手が、起こったからです。そして、その瞬間の指揮者のがっかりした表情が見える角度の座席でいたので、本当に、演奏家に対して、気の毒にも思えたからです。

拍手のフライングをする“愚か者”以外の全員が、最後の音の“残響”までも、楽しみに、会場に来ているということを、そのために、時には、金1万円以上もするチケット代を支払っていることを、全ての聴衆が、理解して欲しいものです。
あと、“愚か者”は、クラシック音楽の演奏会場に、来てはいけないのか?という問いが、予想できますが、即答で、“その通りです”ていうか、“帰れっ!!”と、断言しておきます。

また、近年、海外オーケストラの来日公演が、大阪会場を、選ばない傾向にあるように、思いますが、これには、楽器輸送のコストなど諸問題が、あったりするのかと思います。ただ、“拍手のフライング”が、理由のひとつでないことを、願います。

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